2013年10月16日

物語としてのACー8

「バンドやりたいんだ」
「でた!」
サディが間髪いれずに言った。
「売れなくていいからさライブハウスとかでやりたいんだ」
サディはひややっこの薬味のしょうがを落とさないよう慎重に口に入れた。しばらくぼくを見ていた。
「できそうな気がするんだ」
サディは,はいはいという目つきで、から揚げにくさび型のレモンを絞った。
「売れなくていい?」
「うん」
「ばかじゃない」
彼女は女友達のところに男が転がり込んでいるが、そいつは自称バンドやってますという男で、自分のアパートの家賃を滞納していて部屋に帰れず売れなくていいと毎日昼過ぎまで寝ていると言った。
ぼくはそんなことしないと言った。

「じゃやればいいじゃない」
サディはそう言ってクールに火をつけた。
煙からは一瞬香ばしいにおいがしたがすぐにいやなにおいに変わった。天井のスピーカーからぼくのいちばん嫌いなタイプの曲が聞こえている。まとまっていて無意味に音が厚くて無反省に前向きな詩が子どもの声で唄われている。こんな曲を誰が必要としているんだ?店内を見渡しても誰もそのことを考えているように見えなかった。こういう場所に流されるようにつくられているのだろう。ニーズがあって消費されるのは意味のあることだ。売れているのだ。女のアパートに転がり込んでふて寝している男とは、ニーズがなくて消費の対象にならないからなのだろう。

「親父に,おまえに音楽の才能はない」と怒鳴られたことがあるんだ。とぼくは言った。
「それ,前も聞いた」
サディは生ビールのジョッキを両手で持ったままぼくの目を見て言った。
今では,仕事を終えて最初の一杯を飲みに来たネクタイの男たちで混みあっていた。ふろあがりで大きなジムバックを脇においたぼくらはもうできあがっていた。紺色のスーツの男たちを見ながら,あんたらとは違うんだ体調が整っていて準備ができているんだ、というくだらない優越感で銀行口座に来月の家賃分の現金がなく,仕事依頼のケイタイも鳴らないあせりをごまかした。

サディは,やれやればかじゃないという目をしてぼくと紺のスーツの男たちを交互に眺めていた。あいつらいいよなボーナスがもらえるんだとぼくが言うと,サディは、きょうは帰るといってすたすたとジェイアールに向かって歩いて行った。ぼくは捨てられた幼児のような気分でひどく落ち込んだ。
posted by usaikuo at 08:54| 日記