2013年10月15日

物語としてのAC-7

ビールと酎ハイとウイスキーソーダで自分が誰か分からなくなりたい。でも,いつも最初から自分がだれか分からなかった。気が着くと居酒屋の薄暗いトイレの鏡を覗きこんでいてどうして自分が今ここにいるのかわからず苦笑していた。落書きに囲まれてぼくの声は鼻に虫が入った犬のくしゃみのような音がして狭い箱の中に響いた。シブヤに来たのは何時ごろだっけ?今日は何曜日だ?会社はどうした?やめたんだっけ。でもまだ,自分が今どこにいてどうやったらアパートの部屋まで帰れるかを思いだせた。

外の空気を吸おうと階段を登り扉を出て顔をあげると正面にキャバクラの黄色のネオン,その隣の焼肉やの煙で汚れた看板,真っ赤な顔で大声をあげているねずみ色のコートのオヤジたち,あさっての方向を見て携帯で話すスーツの男,ひらひらした洋服を重ねて着ている目の周りが黒い女子たちがスローモーションのように流れた。井の頭線のレールがきしむ大きな音がしびれた後頭部に響く。誰も自分に興味がなく流れる映像を見ているのは居心地が良くしばらくそうしていた。

身なりのきちんとした大学生らが5〜6人奇声を上げていた。何ができて何ができないかを知らずに生きて行くことはむずかしいがそれを知るには自分を知らなくてはならないのではないか。田舎から出て来てシブヤで酔っ払ってはじめて自分は人間のような気がしたのはもう20年も前のことなのだ。3月のセンター街には雪や泥はなくピンクや緑のアイスクリームが売っていたことに驚いたし女子のスカートの下には白い生足が見えていたことに興奮した。あの頃は簡単だった100円のレモンサワーを3杯一気飲みすれば完璧だった。
posted by usaikuo at 10:04| 日記