2013年10月10日

物語としてのACー1

金曜日の夜、居酒屋でたっぷりと人格を否定された後、無礼講だというカラオケへ行った。たとえどんな状況であろうとも、売上が行っている者は絶対者で、そうでない者はやっかいな荷物として扱われる。2年目、3年目までは抵抗もしたが、日々まとわりつくような無言の要求に応えるべく従順な荷物となった。ここでは、ネクタイを額に巻いて絶叫することに価値があり、上司を立てながらも、前後不覚によろけながらアシスタントの女子にうざがられトイレでゲロのひとつも吐かないと存在が認められないし、何もかもが終わったことにはならない。
ビニル袋を持たされタクシーに押し込まれる。同じ方向の部長がとなりで「俺らもそうしてきたんだ」と言った。ぼくは何がそうなのかわからなかったがうなずいておいて吐き気に耐えた。

とぼとぼと部屋に帰った。いつもの悲しい詩を思いつく。無理をして楽しいふりをした後はいつもこんな気持ちになる。
どうしてる?
いっしょにいられた時間はぼくにとって至福の時であったと、
離れてからわかった。いつもいつも繰り返す後悔と雑念と開きなおり。
あとどれくらいの時間が残されていて、いまどの地点にいるのかわからない。何かを抱えこんで生きるのも悪い事ではないけれど、
あとどのくらいまともでいられるのかわからない。
いつも悲しい詩で我に帰る。調子に乗りすぎて疲れた時,またそういうことを思う。自分には何にも代えがたいものがあるかもしれないと思うし、それに興味が湧いているが、それに気がつきもしないこともある
芝居がかった言い訳ではなく、生き残るための最後の興味かもしれない。
ゲレンデをはずれた雪原の澄んだ空気の中にいる気分を思い出そうとしたが、実際には暗い部屋でこたつの角にすねをぶつけて飲みかけの缶ビールをひっくり返した。
posted by usaikuo at 18:07| 日記